もう登録してから20年近く経つらしい。人生の半分共にしてるんだね。これからもよろしくね。
というわけで、今回、久しぶりにピアノ1本でCDを作りましたよっていう話を改めてしようと思って。
ピアノ一本で且つ手売りに拘った理由は、自分が大好きなピアニストに自分の演奏を聴いてもらうチャンスがあって、「プロデュースさせてもらった色んなアーティストを呼んでCD作りたいんです!」と目をランランにさせながら構想を話したら、「もっと自分の音に集中して。ピアノもすごくいい相棒だよ」と言われてしまったのが発端・・・・
確かに、ピアノを一番最初に弾き始めた時は感じたことのない世界がわっと広がった感じがして、身震いするほど嬉しかったのに、今となってはいろんな楽器を知ってしまったからかピアノ1本じゃ満足できない人間になってしまっていたと猛省。
その人も、所属バンドを脱退して改めてグランドピアノと真正面から向き合って、ソロアルバムはピアノだけでと拘っていた方なので、自分も次作るときはそうしようとその頃から思っていました。
コロナ禍の騒動の中突然亡くなってしまったので聞いてもらうチャンスはなくなってしまったけど、いつか渡せるようにと少しずつ録音しては消してを何年か繰り返していたので、このCDは一時の記録としてではなく、これからの自分も詰め込んだつもり。
なので、何年、何十年かけてゆっくりじっくりと聞いてもらえる人のぬくもりを感じながら一人一人に渡していきたいと思い、手売り限定にしてみました。
フタを開けて見たら、CDプレイヤーを持っていない人がたくさんいてびっくり!!(笑
わざわざ聞くためにレンタカー借りてくれたり、友達の家に持って行ってくれたり、実家に帰ってくれたり。
もうそういう時代ですよね〜
]]>一人は学校の校長先生を目指して先生をやっている。もう一人は、建物の設計をやってる。二人とも頑張ってるんだよなー。
そんな二人が声そろえて「お前は好きなことやって生きてるから凄いよなー、尊敬するよー」って言ってきた。その時は愛想笑いでしか返せなかったけど、その愛想笑いしていた数秒間考えていたこと。それは自分の存在意義。
自分がやってる事なんて全て人々の余暇の隙間を埋めるものでしかないし、時間が経てば強制的に消えていくもの。それに対して先生は子供たちの未来を背負っているし、建物は地図に載って半永久的に残っていく。しかも、未だに校長先生になりたい!だなんて、自分がやりたい夢を描けている友人たちの方がよっぽど凄いし、羨ましいし、尊敬するよ。
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自分のくせに、自分のクセをあまりわかっていない。
この前言われて気付いたのは、ランチで必ずご飯があまってるっていう指摘。
そのあと、「人のことはよく気付くのに、なかなか自分のことは分からないなぁ」とぼやいたら、
「指摘してくれる人が居ないからだよ。」っていう粋な返し。
確かに、自分も人のことは気付いても、それを声に出して言うほどではない。
「ほら、それもクセ。ハっとした顔するけど、それが何かは言ってくれない。」
なにやら「クセ」というのは人の目を通すと「よくないもの」に変換されるようだ。
人から見て嬉しいクセってあるのかな?
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今年も花見でー!って別れたのが最後。今でもあの時の表情ははっきり覚えてる。
あの時が最後だって分かっていたら、もっと言いたいこといっぱいあったのに。
そんな思い一心だけでババ!っと書きあげた曲がある。
「とどけ」
♪〜(中略)君の事を想いながら 今日もまた 歩いてゆくよ
君と過ごした思い出を 歌にして 君にとどけ
でも、でも。今頑張っているのは生きている人たち。
頑張らなきゃいけないのも、生きている人たち。
今、亡くなった友人への歌を歌うよりも、もっと伝えなきゃいけないことがある。
で、ナシルさんに送ったこの曲を急遽やめて、まったく逆の歌を書きあげた。
それが、「生きている」(Youtubeにて配信中)
♪〜僕らが生まれた地球で 夢を追いかけた世界で
笑顔絶えないこの国で 今日も花が咲いている
僕たちは だいじょうぶ
僕らはいつの日も ひとりじゃないんだよ
泣きたくて 逃げたくて 心が痛んでも
僕らはいつだって 負けずに進んだろう
顔をあげて 手をつなごう
「僕たちは 生きている」
まだ、親友の親も会いに行けていないようだ。
落ち着いたら、自分も一緒に会いに行きたい。
そして、「生きている」を書きあげる後押しをしてくれた感謝の気持ちを込めて
あいつに「とどけ」を贈ろうと思う。